Diario
2005年9月4日
恋人のOBは、仕事で日本を離れていた。私は、彼に同行せず、彼の帰りを実家の福岡で待っていた。3週間という長い彼の不在をどのように過ごそうかと思っていたので福岡での休暇は父と久しぶりに一緒に過ごしてあげることと、時間稼ぎの里帰りでもあった。しかし、突然の甥っ子たちの子守の依頼を引き受けたおかげで、毎日を忙しく過ごすことができた。
いまだ生前の母のかおりのするこの家で1日でも過ごすことは、正直言ってとてもつらかった。本当に3週間も過ごせることができるかどうか不安だった。しかし、甥っ子たちの元気の良い声が、玄関に響き渡ったとき一変に家の中の雰囲気が明るくなって、楽しい気持ちになれたことを今でもすごく印象に残っている。父にも笑顔が、もどって、家の中が、とにかく明るくなった。(時々、ひどく喧嘩され、どちらが悪いのか、二人ににらまれながら、大人の私が判定しなければならないときには、気が滅入ってしまったが、、、)彼らの到着以来、家中が彼らの遊び場になった。今まで、ひっそりとそこにあるだけの家具に命が宿ったように感じられた。父も一人の時には、使っていなかっただろうと思われる部屋、ソファなどにも、子供たちと戯れる父の姿を見ると、とても嬉しくなった。甥っ子たちのエネルギーに圧倒され、彼らと楽しく遊んだり冗談を言ったり、しばらく会っていなかった彼らの成長ぶりをみると、私も心から嬉しい気分になるのだった。それまでの、落ち込みがちな気分が吹き飛んでしまったようだった。
父が仕事に出ている間、私たちは3人だけで過ごした。私は甥っ子たちと食卓テーブルに座ってお昼ご飯を食べていた。その日は、食事中あまりにも騒がしく、お行儀が悪いので二人をきつく叱った。そのとき年上の甥っ子が(小学2年生)「おばあちゃん、今どこに居るのかなあ、僕、おばあちゃんが良かった。。。」とつぶやいた。一瞬にして、騒がしかった食卓が静かになった。年下の姪(小学校1年生)が、「しっ!おばあちゃんのことは言わないで!、、、、かなしくなるから。。。」彼女の顔は、お兄ちゃんをじっとにらみつけたまま、口をしっかり結んでいた。二人ともお箸を持ったまま、うつむいて黙り込んでしまった。「さあ、しっかり食べて、その後は公園へ行きましょう!また、ブランコ乗ろうよ!」と私。
甥っ子たちは、0歳のときから5歳になるまで、ほとんど毎日父と母のそばで成長していった。彼らの母親(私の妹)よりも一緒にすごした時間が長いくらいだった。しかし、彼らは、とても幼かったし、新しい大阪での暮らしも2年前から始まり、母が亡くなって以来、彼らの口から一言も「おばあちゃんの話」を聞いたことがなかったから、もう、この子達は、母のことなんて思い出したりしないんだろうな、、、あんなに可愛がられていたのに、、、、と思っていたので、彼らの言った言葉に、不意を撃たれた。大阪では悲しみに明け暮れ、夜になると必ず涙を流す母親を子供たちは見ていたのだ。だから、彼らは、おばあちゃんのことを一言も口にしなかったのだ。それが今、私が母親変わりに彼らと一緒にいるから、彼らの本心がつい口から出てしまったのだ。母親を悲しませまいと、自分たちの悲しい気持ちを抑えて、毎日を明るく彼らなりに一生懸命生きていたことに気づかされた。こんなに小さい二人なのに、なんて強くて賢いんだろう。子供たちが、私よりもずっと、大人で、力強く生きていたことを私は知った。
それ以来、私は心が沈みそうになったときは、このときのことを思い出すようにしている。子供たちって、大人たちの弱い心を勇気付け、教えてくれることがいっぱいあることに初めて、気づかされてしまうことになった。

