Diario
2003年7月21日
ルーシーが死んでしまったのは7月21日の夜だった。スペインではペットとして犬を飼っている人がとても多い。
今回、日本へ一時帰国した際にも感じたが、公園では朝から夜まで犬の散歩をしている人でいっぱいだった。
日本でもかなりのペットブームなのだと気づいた。
日本とスペインでは人間とペットの関係が少し違う。
スペインではいくらペットの犬がかわいくても、同じ家の中に住んでいても人間同様に生活することはない。
日本では人間とペットの立場が少し混同しているように思われる。
ペットをかわいがることはいいことだけれど、ねこっかわいがりでは外国から来た人には異常に見えてしまうかも。。
それがいいことなのか、悪いことなのかは私が判断することではないのだけど。私とルーシーの関係もスペイン風といっていい。
私はあくまでもルーシーの主人であり、彼女は私に従うことが課せられていた。
彼女が入ってこれない場所もきちんと理解していた。
犬には人間のような理性がない。だから丁寧にしつけをしなければならない。
私たち人間が犬に振り回されることなどないようにしなければ。しかし、私は動物を心から愛しているし、彼らの権利も尊重しているつもりだ。
私の唯一のペットであるルーシーは私を主人として生活できたことでしあわせだったに違いない。
しつけは厳しくしたが、心から彼女を愛していたし、彼女が病気になれば徹夜で看病もした。一ヶ月の生活費を惜しまずに手術費用にあてたこともある。
どこへ出かけるのも一緒だったし、家を探す時にも彼女が遊べる公園や広場があることを優先させた。
彼女もまた私を100%信頼してた。
常に私に守られていることを感じて生活しているようだった。
シルビアと週末を過し、コルドバへ到着した私は急いでタクシーに飛び乗り、家へと向かった。
今回の旅は急な話だったのでルシアのところにあずけるしかなかった。
2日間留守にし、一日はルシアが犬のルーシーを預かってくれたが、昨夜の2時から今日の午後11時までルーシーは家の中に閉じこめられることになった。
私はでかける朝、たっぷりの水と食事を用意していた。ルーシーにとってこんなことは初めてだった。
旅行から戻った私は恐る恐る玄関の扉に近づいた。
ルーシーは大丈夫かしら?
カギを差し込むとドアの影に横になっていたルーシーが起き上がる気配がした。普段はカギの音を聞くと遠くから近づいてくる気配を感じるのだけど、今回は違っていた。彼女はずっとドアに寄り添っていたのだった。
「ルーシー!」私は声をかけた。「ごめんね、ルーシー!大丈夫だった?」
私は彼女の無事を確認すると、荷物を置くために家の奥へと入っていった。
彼女は一日おしっこもうんちもがまんしていたようだ。まったくちらかっていない。
信じられない!
食事も水も減っていない。
彼女は何も食べず、ただひたすらドアの寄り添い、私のかえりを待っていたのだ。
私はひとまず彼女を抱きしめることを我慢し、まず、外へ連れ出しておしっこをさせてあげようと思った。
「ルーシー!おいで。お散歩よ!」
彼女は自分の散歩用のリードをくわえると、ドアのところでドアが開かれるのを待っていた。
私は急いで階段を下りていった。彼女はとてもはしゃいでいた。
家のすぐ近くに草がたくさんはえた広場があった。
彼女はすぐにおしっこをした。
私はやっと一安心できた。
この日、私は彼女にリードをつけていなかった。時々つけないままお散歩をすることがあった。
決して歩道から飛びだすことはなかったし、道を渡るときは、リードを見せて呼べば頭をかがめて近寄ってくる。
首輪にリードをつけてもらうために。
ルーシーは本当にかわいくて賢い犬だった。
ルーシーは久しぶりの土や草の匂いをかぐのに一生懸命だった。
すこし遠くへ行きそうだったので「ルーシー!おいで!」
と呼んだ。彼女はその場で長い耳を両頬にぶつけるように振り返った。私の姿を確認すると、一目散で私の方へ駆け寄ってきた。
私はかならず彼女を受け止めてあげることにしている。彼女も思いきり私に自分の身を預けるのだった。
その夜はいつもと少し様子が違っていた。
彼女は私との再会に少し興奮気味だった。グルグル円を描くようにまわってみたり。。こんなにはしゃぐ彼女を見るのは初めてだった。
夜の11時をまわっていた。あたりは静まり返り、道には人通りもなく、車もまったく走っていなかった。
そんなにはしゃぐルーシーを見ながら私はとてもうれしい気分だった。
大きな音がし、ルーシーが「キュン!」と泣いた。
血の気が一気に引いていき、目の前が真っ白になったような気がした。
ひき逃げされた。緑色の車だった。
「ルーシー!!」私はぐったりしている彼女に近づいた。そっと抱き上げたとき、ルーシーが私の指を軽く噛んだ。そして「キュン」と泣いた。
「ルーシー死なないで!お願い!私の側から離れないで!」
私の声で近所のおばさんが出てきた。「今のものすごい車の音はなんだったんだい?あんた、大丈夫?」
「私のルーシーが今車にひかれたの!」
「まあ!なんてこと!!すぐに病院に行かなくちゃ!」
「お願い!ルーシーを見てて!私、今救急病院の電話番号と携帯を持ってくるわ!」
私は地面にルーシーを横たえ、おばさんにお願いした。
「この子を包むバスタオルを持っておいで!」
私は走った。家の階段を駆け上がった。
「ルーシー!お願い!私を一人にしないで!生きて!生きて!」と心の中で神様にお願いしていた。
ルーシーの所へ戻るとルーシーの目が開いていた。でも動いてはいなかった。
おばさんは自分のご主人をよんでくれ、すぐにルーシーを病院に運ぶ段取りをしてくれていた。
私は悲しくて悲しくて彼女を抱き上げることができずにいた。
おばさんが彼女をバスタオルに包んでくれ、抱き上げてくれた。おじさんが運転してくれた。
車の中で私はただ泣きじゃくっていた。
「ルーシーはね、まる一日家に閉じこめられてずっと私を待っていたの。ご飯も食べずに、おしっこもしないで。こんないい子なのに、私のせいだわ。ルーシーは?生きてる?」
「大丈夫よ、生きてるわよ。しっかりして!」
私はひたすら神様に祈った。
彼女の顔を見ることができなかった。彼女の目がいつもと違っていた。こわくて見ることができなかった。
病院につくと、女医さんがでてきた。
おばさんがルーシーを手術台にのせてくれた。
私が泣きわめいていたので、女医さんは手術室から出ていくように言った。
私は泣くことをやめた。少しでも彼女のそばにいたかったからだ。
点滴をはじめたが、体のなかに入っていかない。
女医さんは私の方を振り向くと「ごめんなさい。。これ以上なにもできないわ。」
私はまた泣きわめいてしまった。おばさんも泣いていた。
ルーシーを見ると口が開いていた。舌は真っ白で目はくぼみ、死んだような目をしていた。
体はまだ温かいのに。私は彼女の心臓に耳をあてた。動いているような気がした。
でも、彼女がだんだん冷たくなっていくのがわかった。
「ルーシー、ごめんね!ごめんね!あなたは悪くないの。いいこだったのに。私のせいでルーシーは死んでしまったの。私のせいだわ!」
私はおばさんと女医さんに連れられて手術室出た。ルーシーはそのまま手術台にのせられていた。
「ナビラ、これから言うことをよく聞いて。まず、ルーシーが死んだのはあなたのせいではないわ。彼女の寿命だったの。あなたほど彼女のことを愛している人はいないわ。」と女医さんが言った。
おばさんが「お支払いはいくらになりますか?」とたずねてくれた。「いいえ、いりませんよ。」と、女医さんが答えた。
「ありがとう。」とおばさんが私のかわりにお礼を言ってくれた。
「ナビラ、ルーシーのことだけど、これから3つの方法があるの。一つは大学へ提供すること。獣医になるための勉強をしている学生達の研究材料になるの。二つ目はごみ処理場の人が片づけにきてくれるの。ほとんどごみ同然に焼いてしまうのよ。三つ目は自分の家の敷地内に埋めることができるのよ。どうする?」
「ごめんなさい。私、今は考えられないわ。」
「いいのよ。明日でも。明日までルーシーはあずかっておくわ。」
「私、明日の朝、ルーシーに会いにきます。」
おばさんは私の肩をささえてくれて、病院をでた。
おじさんは車の中でずっと待ってくれていた。
家についた。おじさんとおばさんは元気を出すように励ましてくれた。
「あなたがひかれなくてよかったわよ!ルーシーはあなたの身代わりになったのかもしれないわ。強く生きないとだめよ。ルーシーはあまり苦しまずに逝ったわ。もし、生き延びていたら、彼女は痛みと闘う日々を送ることになったかもしれないのよ。」
「そうね。本当にありがとうございました。私のことは心配しないで。」と、言いながらこぼれてくる涙を押さえることができなかった。
私の住んでいる通りの近所の人たちが道端に出てきた。
私の家の向かいがバーになっていた。おばさんの提案で、私はそのバーの外の椅子にしばらく座ることにした。
数人の近所の人たちが一緒にすわってくれた。
ルーシーの事故のことを知らない人も多かったが、病院に付き添ってくれた親切な夫婦が周りの人たちに説明をしてくれた。
「だから、わたしはペットを飼うのは嫌なんだ!自分より先に死んでしまうんだもの!」
「ナビラ、そんなに悲しむもんじゃないよ。これは運命なんだよ。死はいつやってくるのか誰にもわからないんだから!今日がルーシーの人生の終わりの日だったのさ。」
「主人にこんなに悲しんでもらって、あんたの犬はしあわせだよ!」
「まあ!あの、かわいいわんちゃんかい?なんてひどい車だろうね〜。車の運転手は止まっておりてこなかったのかい?」
「ものすごいスピードの車が通ったのを聞いたけど、あの時だったのかい?事故があったのは・・」
人々はそれぞれに話していた。
わたしの涙は拭いても拭いても止まらなかった。
私の家の下に住んでいるマリアの家の明かりがついた。マリアがネグリジェにガウンを羽織りながら私の方へ近づいてきた。
「どうしたの?ナビラ。」
答えられない私のかわりに他の人たちが説明をしてくれていた。
「私がいけなかったの。いい子だったのに。。私にまる一日会えなかったからはしゃいでいたの。。けっして歩道からはみ出したりすることはなかったのに。。私に会えたことがうれしくてグルグルまわっていたの。私にうれしさを見せてくれていたのよ。そこに車が猛スピードで走ってきて・・・目の前で・・」
「ナビラ、今夜は一人でいないほうがいいわ。安定剤でも飲んだほうがいいね。」とおばさんが言った。
「ナビラ、今夜はうちへ泊まりなよ。」と、マリアが言った。
「大丈夫よ。家に帰るわ。一人でも大丈夫。。」
「それなら、ちょっとだけうちにきてマンサニージャ(カモミールティー)でも飲んで、心を落ち着かせましょう。」
私は近所の人々にお礼とさよならを言ってマリアと一緒に彼女の家に向かった。
彼女の家の居間に入るとすぐに彼女はマンサニージャを用意してくれた。
喉が渇いていた。なんでもよかった。マンサニージャは心を落ち着ける効果があるっていうけど、今日の私には効き目がありそうにはなかった。
「マリア、少し落ち着いたわ、おかげさまで。。本当にありがとう。」
私は彼女の部屋を出ると、2階の自分家に上がっていった。旅行に出かける前、ルーシーが家の中でおしっこをしても、すぐに掃除ができるようにと用意していたバケツやモップがそのままだった。
そのモップを手にとった。
「ごめんね、ルーシー。。ごめんね。ごめんね。。」
胸が苦しくなった。何度も深呼吸しないと息ができなくなってしまいそうだった。
私は一日中ルーシーが寄り添っていたドアのところにしばらく横になった。
私は大丈夫ではなかった。
いつもいつも一緒にいた相手を亡くしたのはこれが初めてだった。しかも目の前で死んでいくのを見たこともなかった。愛するものが死んでいく姿を見ることがこんなに辛いなんて。
私は家中をほうきで掃除し始めた。
ルーシーのフワフワした毛がたくさんとれた。彼女のドッグフードを捨て、食器を洗った。
そしてモップできれいに床をふいた。掃除をしている間、涙はでなかった。
彼女のものをすべてきれいに片づけたいと思った。30分くらいひたすら掃除をした。
ビニールの袋にごみと彼女の毛を入れた。ビニールの口をしばった。
これで彼女のものは家の中に残っていない。これでいい。
私はまた急に悲しくなり、大声でないてしまった。
夜中の1時半になっていた。今夜は自分の部屋で眠れそうにない。ルーシーのいない部屋になんていられない。
彼らに電話してみると、みんなでゲームをしているところだったようだ。電話の向こうから笑い声が聞こえてくる。
私は何を言ったのか全く覚えていない。胸も苦しかったし、手も震えていて受話器がきちんと耳にあたっていなかった。私の「ルーシー」という言葉を聞き取ったらしく、「ルーシーになにかあったんだね。今からいくよ。30分で行くから。」
しばらくするとパコとマリアホセが家に来てくれた。彼らにルーシーが死んだことを伝えた。マリアホセが泣いていた。パコは泣いていなかった。「ルーシーの運命だったんだよ。」
私はそのまま彼らに連れられて彼らの家に行った。パコは「自分を責めることだけはやめたほうがいい。」と言った。
マリアホセは「ルーシーが幸せな生活をしていたことはみんなが知っているわ。あなたがどれだけルーシーを愛していたかもみんな知っているわ。あなたは彼女のいい主人だった。自分を責めるのはよくないわ。」
「実はね、来月8月3日から2ヶ月間日本へ行くのに、ルーシーをどうしようかと、悩んでいたの・・いつもは長くても3週間くらいだったし、友人に預けていたんだけど、今回はその友人も旅行にでるから預けられなくなったの。犬のホテルは2ヶ月も預けたら高くついちゃうし、小さなオリのようなところに閉じこめられてしまうからかわいそうで・・犬を飼っている、信頼出来る人を探していたの。なかなか見つからなくて・・2,3人あてができたんだけど・・私、ルーシーはそのことを知っていたような気がするの。
ルーシーはそんなに長期間お留守番するのが嫌だったから、死ぬことで魂になって私と一緒に日本へ行きたかったんだと思うの。。」
でも、カトリックのスペイン人であるパコとマリアホセには、私が言っていることは理解できないようだった。魂と肉体が別々であること。肉体が死んでしまっても魂は生き続けるという、東洋の考え方は彼らには到底理解しがたいようだった。
「ナビラ、シャワー浴びておいで。きっと心も落ち着くわ。」とマリアホセが言った。
私は着替えを受け取り、シャワーを浴びることにした。もう、これ以上彼らに迷惑をかけるのはよそう。
シャワーを浴びたらすぐにベッドへ案内してもらおうと思った。
シャワーを浴びると少しすっきりした気分になった。
彼らの寝室の隣にあるゲスト用のベットで寝た。
パコが水をコップに入れて持ってきてくれた。「ドアは少し開けておくよ。君をちゃんと監視できるように!」と言ってにっこり笑った。私もほほ笑みをうかべることができた。
彼らに感謝した。私にとって彼らは信頼できるかけがえのない友人だった。
なかなか眠れなかったが、うとうとし始めたころ朝になった。
時計をみると8時を過ぎていた。朝、10時に病院が始まるので9時半くらいにここを出ようと思っていた。
彼らが起きてくるまでしばらくベッドの上に座って瞑想をすることにした。
瞑想はいつも私を自分自身の内なる旅へ誘ってくれる。今朝は今までになくうまくいった。そのまま30分ほどすぎた。彼らがバスルームに入っていく音で瞑想は中断された。
バスルームではパコとマリアホセが歯を磨いたり顔を洗ったりしていた。私もバスルームに入っていった。
「気分はどうだい?」「少しいいみたい。」
マリアホセが使い捨ての歯ブラシをくれた。
3人でバスルームに並んで歯を磨いていた。なんだか変な光景だ。
病院へはパコとマリアホセもついてきてくれることになった。パコは車で待っていることになった。
駐車場がみつからないと言っていたが、きっと病院に入りたくないのだと思った。私の悲しむ姿を見ることが耐えられないのだと思った。
マリアホセが私と一緒に病院に入ってくれた。
昨夜の女医さんが出てきた。「ブエノスディアス」と言った。
私も「ブエノスディアス」と挨拶をした。
「ルーシーに会えますか?」と私がたずねた。
「いいわよ。ちょっと待ってて。今用意するから。ルーシーは今、凍っている状態なんだけど、それでも見る?」
私は迷わず「はい」と答えた。マリアホセは黙っていた。
5分ほどたって、手術室のほうから女医さんが私を呼ぶこえが聞こえた。
廊下を奥へと進んでいった。
手術台の上にルーシーはいた。
「ルーシー!」昨夜のルーシーは両足が4本伸び切った状態で口を少し開いて横たわっていたのだけど、今のルーシーは足をすべてくの字に折って体を丸め、頭を内側にむけ、目を閉じていた。いつも彼女が昼寝をしている姿勢だった。まるで昼寝をしているようだった。
私はそばにかけよった。彼女の真っ白な毛に水滴ができていた。凍っていたものが空気に触れて溶けたのだ。
私は彼女の顔に頬をすり寄せた。そして全身を手のひらいっぱいでなでてあげた。
うしろでマリアホセが泣き始めるのを聞いたときルーシーは本当に死んでしまったんだと思い知った。
それで私は彼女をもう一度抱きしめようをすることをやめた。こわかった。
彼女が死んでしまったことを体で感じることがこわかったのだ。
「ルーシーごめんね。ごめんね。永遠にあなたを愛しているわ!」
私はルーシーを大学に提供することにした。少しでも彼女の死が意味のあるものであってほしかった。
帰りの車では誰も話をしなかった。私の家の門の前までパコとマリアホセはついてきてくれた。
何度も私が一人になっても大丈夫か。。とたずねてくれた。
私は大丈夫ではなかったけど、「大丈夫」と答えた。
私が表のドアのカギを開け、ドアを開けると同時に彼らの車は出発した。
今の私には勇気と強い心が必要だった。それも自分自身からしか与えられることはないだろう。
今の私に哲学なんて無意味だった。
どうでもよかった。

