Diario
2003年7月20日
セビリアまでは約230kmの距離があるが、AVEだと40分くらいで到着した。
私がイスラエルに渡った10年前に、一度彼女とお別れしてから、この間再会をしたばかり。今日は二度目の再会だった。私の胸はドキドキしていた。
先日、突然シルビアを訪ねて行った時のことを思い出していた。
その時、私たちは10年ぶりの再会を心から喜んだ。また、今度ゆっくり会いましょう、と、約束をして別れた。でも、彼女が本当に私にまた会いたいと思っているのかどうか、実際のところ、彼女の本心はわからなかった。
しかし、昨夜、彼女から電話をくれた。海へ誘ってくれ、また、彼女のいとこの家にまで招待してくれた。
私たちの友情は、また元に戻れるような気がした。
彼女もまた、私と同じように会いたがっていたことが分かって、とてもうれしかった。
彼女は私のことが好きだった。少なくとも、10年前私にはそう感じられた。
シルビアとは波長が合うのだ。彼女と私、職業はまったく違うが、人間的に似ているところがあった。
悪い表現かもしれないが、繊細すぎる。感受性があまりにも敏感すぎるというべきか。
彼女は繊細すぎる自分の心を強くするために、あるいは彼女自身がもつ心の問題を解決するためにサイキカウンセラーになったのかもしれない。
そして、彼女とは価値観が似ていた。それはつきあいを続けていく上で、とても重要だと思う。
彼女はVirgo(おとめ座)だった。私はおとめ座、みずがめ座、かに座の女性とうまく行くようだ。
私の場合、うらないなどには関係なく、彼女らとつきあいやすいのだ。私の仲のいい女性はすべてその星座だ。
彼女の愛車のボルボで迎えにきてくれていた。彼女はパコと別れた後、確かに生き生きをしている。遠くから飛び上がるように大きく手を振り、私を呼んだ。
今、彼女はセビリアで話題のサイキカウンセラーを呼ばれる人気の精神科医だった。ラジオ番組なども持ち、バルセロナ、マドリードでの仕事も順調だった。
彼女の車、ボルボは最も安全で安定しているといわれている。彼女らしいチョイスだ。
彼女は人生においても確実によい選択をしている。パコとの離婚も彼女にとって、プラスになっているにちがいない。彼女のライフスタイルはとてもよいと思う。
彼女は私にとてもよい影響を与えてくれる女性だ。人間的にも素直で控えめですばらしい女性。
私も彼女から「すばらしい」と、思われたい。これから、お互いに尊敬し、憧れることができる友人関係になればいいなと思っている。
私はバッグからサングラスとチューイングガムを取り出し、トランクに荷物をいれた。助手席に座り、シートベルトをした。お互いにしばらく見つめあい、ほほ笑みをうかべ、頬にキスをしたあと、シルビアは車を出発させた。
カディスまでは二時間で到着した。
10年分の話をするのに、何から話していいのかとまどってしまった。最近あったことから。。それとも、10年前、別れた時のことから。。二時間なんて、あっという間だった。いろいろあったけど、お互いにここ三年は苦労の多い、つらい年だった。これもまた偶然だった。
二人とも同じ時期にバセドウ氏病になっていた。不思議な偶然だった。
これからは、好きなように生きて、幸せになれるように強く生きていくことをお互いに誓い合った。二人とも涙がこぼれていた。
「ほら!まちがったわ。涙で標識を見逃してしまったわ。右に曲がらなければならなかったのに。」
「あら、それって、私のせいだって聞こえるわよ、シルビア。私たちは、今、標識が見える状態じゃないわね。でも、命だけは落とさないようにしましょう。私の命はあなたにあずけているようなものだからね。」
「責任おもいわね。」
なんとか、目的地である、彼女のいとこのマンションにたどり着いた。午後二時になるところだった。
私たちはマンションの中に入った。部屋の中は海辺のリゾートホテルの雰囲気でとてもステキだった。寝室のダブルベッドの上に荷物を広げて、そこで着替えなどをし、夜はシングルベッドが2つ置いてあるゲストルームで寝ることにした。
いくら好きなように使ってもいいと言われても、彼女のいとこ夫婦が使っているダブルベッドを使うのは気がひけた。
早速海に行くことにした。
私は浜辺でローションをつけなくてもいいように、2つのボトルのローションを使い分けながら全身にぬった。
顔には特に強力にガードをしてくれるクリームをぬった。
シルビアはローションにエキストラバージンオイルを混ぜてぬっていた。そうすると、オリーブ色の肌に焼けるのだと信じているようだった。
私たちは用意ができると、ビキニを着て、腰に大きな布を巻きビーチサンダルを履き、大きなビーチ用のバッグに雑誌とタオルをお金を入れて、マンションを出た。
海はマンションの前に広がっていた。
私は胸いっぱいに海の風をすった。海の匂い。潮風は、私にエネルギーをたくさん与えてくれそうだった。
カディスの海は特別だった。
真っ白な砂浜が永遠と続き、波はサーフィンを楽しめるほど高かった。そして、雲ひとつない真っ青な空が海の色を決めていた。真上から照りつける太陽の、強い日差しが海に宝石をちりばめたようだった。
私は砂浜にバスタオルを敷き、海の中へ飛び込んで行った。水はとてもつめたい。地中海の水はとても冷たいのだ。それが唯一の残念なこと。私は震えながら砂浜に戻ってきた。
「ねえ、先になにか食べない?もう、お昼ご飯の時間だもの。」
浜辺の所々に‘チリンギート’と呼ばれる海の家のような感じで作られたレストランやバーがあった。
私たちは目の前のチリンギートに入ることにした。そこでは浜辺でくし刺しにした魚を焼いていた。
浜辺のパラソルがあるテーブルにつき、食事をすることにした。
まず、赤ワインとソーダ水の飲み物「バルガス」を注文した。(カディスでは通じないので、ティントデベラーノと言って注文した。)
シルビアはビールを注文した。食事の前にタパスを食べることにした。
約一時間ほどかけておしゃべりしながらタパスを食べた後、魚料理を食べることにした。
私はミネラルウォーターを注文し、シルビアは白ワインを注文した。
このあたりの浜辺には地元の人々はほとんどいなかった。
7月のバケーションまっただ中の週末だというのに人は少なかった。ほとんどがマドリードやセビリアから来ている人たちのようだった。
ちなみに、コルドバの人々は地理的に一番近いマラガの海へ行くことが多い。
それぞれのチリンギートは、そのお店によって集まってくる客のタイプが自然と決まっていた。
このあたりのチリンギートには、地元の人々が交じることはなく、夏のバカンスを楽しむ外部の人々が多かった。
特にこの浜辺のまわりに別荘を持っている人々が集まってくるようだった。
別荘というと贅沢で高級な感じがするが、スペインでバカンスを海外で過すひとは少ない。あくまで保守的というのだろうか、言葉が通じないところや、料理の合わない外国へ旅行することを避ける人が多い。
だから、バカンスで人気があるのは国内旅行。だから、中流階級の家庭だったら、たいてい、アパートの一つくらいをバカンス用に海辺にもっている。
昼食はシルビアにご馳走してもらった。スペインでは、仲の良い友人関係では割り勘というスタイルはほとんど使わない。私もそれに慣れてしまっている。次に食事するときに私が払えばいいのだ。お互いに「ありがとう」なんて言葉も必要ではない。
午後5時になっても太陽はとてつもなく強い日差しを放っていた。
夏の一日はとても長い。夜の10時にならないと太陽は沈まない。
今が日光浴をするには一番いい時間帯なのだ。
私たちは日光浴をしたり、時々体を冷やすために海へ泳ぎに行ったりした。海の水の冷たさと、外気の温度の熱さとのコントラストが心地よかった。
そんなことを繰り返しているうちに、あっという間に時間は過ぎた。私たちは日の入りを海辺で眺めることにした。まるで絵に書いたように美しかった。
アフリカ大陸もはっきりと見えた。
私たちはマンションにもどり、シャワーをあび、出かける支度をした。
午後11時、この小さな海辺の町の中心街へ車で出ていくことにした。きっとこのあたりは夏のバカンス以外は静かなところなのだろう。町というには、小さすぎるところだった。
ただ、海辺にはホテルや別荘が建ち並び、夏だけ営業しているお店やレストラン、バーなどが夜中まで開いていた。町は昼間の水着姿の人々たちの雰囲気とは違って夜の雰囲気になっていた。
それぞれが、小麦色の肌に映える服をえらび、おしゃれした人でいっぱいだった。
みんな、夜の街を楽しんでいた。
この季節店を開いているオーナー達も普段はマドリードやバルセロナ、セビリアに住んでいる人々で、ここでバカンスを楽しむ人々もそれぞれの町ですでに知りあい同士だったりする。だから、知り合いが、そのまた知り合いを紹介したりして、友達の輪が広がっていったり、新しい出会いが生まれたりするのだ。
私たちは友人の紹介してもらったイタリア風のレストランへ入った。
そこで、カルパッチョを食べることにした。もともとスペインでは生魚(お刺し身)を食べるという習慣がないので、イタリア語でそのまま書いてある。カルパッチョなんて、ほんの最近になって、海辺で魚が新鮮な町でのみ料理のメニューとして親しまれるようになった。
ここでは日本のワサビと醤油のかわりにオリーブオイル、ビネガー、塩で味付けをする。
そして、魚の臭いを消すためにレモンが山のようについてくる。
私たちは夕食をすませ、ディスコへ踊りに行くことにした。
スペインではどの町にいてもディスコに人々が入りだすのは夜中の一時過ぎだ。その時間には30分ほど早かったが、今のうちにどのディスコに行こうか、下調べに行くことにした。
ディスコの数はこの小さな村にしては結構あった。6つのディスコがあった。
一軒づつはしごしながら、気に入るディスコを見つけることにした。
ディスコもやはり地元の人々が行くところ(バカンスに関係なく一年中やっている)と、夏のバカンスの間だけ開かれる、いわゆる観光客用のディスコに別れていた。後者の方が断然きれいでおしゃれなディスコだった。
地元の人々が集まるディスコは、平均年齢25歳くらい。10代の子供も多く来ている。
このあたりに住んでいる大人たちはディスコなんてあまり行かないようだ。
私たちはなかなか気に入るディスコを見つけられず、最後の一軒を訪れることになった。
その最後のディスコは海辺にあるディスコだった。昼間はレストランなのに夜になるとディスコになるという、ユニークなところだった。おしゃれな人たちもたくさんいて、ゆっくりお酒を楽しんでいる人もいれば、隣の生バンドの演奏で踊っている人もいた。若者は浜辺に横になっておしゃべりしたり、砂の上で裸足で踊っている人々もいた。
私たちはすぐにこの場所が気に入ってしまった。
その日はほぼ満月。月の明かりが美しく、私たちも裸足になって海辺を歩くことにした。
夜の海は白い水しぶきがライトにあたり、とても美しかった。満月に近い月の光は、月への道を海に照らしているかのようだった。すべてが完ぺきだった。
こんなステキな夜はひさしぶり。
私たちに唯一かけていたもの、それはハンサムな恋人だった。
私たちは生バンドのステージの近くへ行って踊ることにした。
音楽はラテン系やフラメンコロックみたいなもので、ノリがよかった。まわりにいる人々の雰囲気もよくて、踊りながらいろいろな人たちと友達になり、結局明け方の5時まで踊りつづけた。私たちは二人ともロン(日本ではラム?)にレモネードを混ぜたものを飲んでいた。
飲み終わるころにはいつも誰かがインビテーションで次の一杯をプレゼントしてきたので、5,6杯飲んだかもしれない。シルビアは私よりペースが早く、8杯は飲んでいたんじゃないかな?
私たちは酔っぱらいそうになったら、浜辺へ行き、寝ころんだ。
そして酔いが醒めるころ、また戻って踊り続けた。
あっという間に時間が過ぎた。「ホテルまで送るよ」と言ってくれる男性もいたが、丁寧にお断りして自分たちだけでマンションに帰ることにした。
浜辺は寒かった。私たちは車に戻り、マンションへ帰ることにした。お酒が入っていたが私たちは車で帰ることにした。早朝で人も車もほとんど通っていなかった。
シルビアは「大丈夫」だと言ってはいたが、なんだかフラフラ運転している。
マンションに無事到着し、部屋に入ると二人ともそのままベッドに倒れ込んでしまった。私たちは砂だらけだった。
翌朝、シルビアのシャワーを浴びる音で私は目が覚めた。しばらくベッドの中でぼーっとしていた。
夕べのことを思いだしていた。「旅の恥はかきすて」・・・ああ、私のしたことはまさにその通り。
よかった。コルドバの人に会わなくて。
シルビアはセビリアの人にたくさん会っていた。セクシーに踊って目立っていた。彼女はラジオ番組を持っているし、知りあいにも会っていた。今ごろシャワーを浴びながら反省しているにちがいない。
シルビアがシャワーから出てきた。私は普通に振る舞った。
彼女は髪を拭いていたタオルの手を休めて首にそのタオルをかけてこう言った。
「私、昨夜どうやって帰ってきたか覚えてないの。」
「うそ!」
「全然覚えてない。あなたが何かひたすら私に話しかけていたような気がするわ。英語で。」
「シルビア、あなた2児の母親なんだからもっと命を大切にしないとね。。」
二人ともなんだか、吹き出してしまって、笑いが止まらなかった。
私は砂だらけのベッドから起き上がりシャワー室へ向かった。
昼食をすませ、もう一度海で泳いでからセビリアに帰ろう。6時くらいにカディスを出発することにした
セビリアには8時過ぎに着いた。私はシルビアを分かれ、そのまますぐにコルドバ行きのAVEに飛び乗った。
食堂車へ行き、私はカフェ コン レチェ(カフェオレ)を頼んだ。
一杯飲んで、席へもどるつもりだった。
「すみません、セニョリータ」私を呼ぶ男性の声がした。
振り返ると見たことない50歳くらいの男性だった。
「もしかして、昨夜、カディスのディスコで踊られていませんでしたか?」
2,3言話して私はその場所を離れた。あまり長く話をしたくなかった。
特に昨夜のディスコにいた人とは会いたくない気分だった。まさか、AVEでそんな人に会うなんて。
世間は狭い。日本にいようと、スペインにいようと、世間って狭いな。とつくづく思った。
コルドバの駅に到着した。ホームに降りると、やっと帰ってきたという、うれしい気持ちでいっぱいになった。
コルドバは独特の雰囲気と匂いがある。それが私にはとても心地よい。 他の場所からこの町に帰ってくる度に心からうれしくなる。
犬のルーシーのことが心配だったので、私はタクシーにのって家路を急いだ。
私はタクシーの中にいた。家までは15分で着く。
シルビアと過した時間はとても楽しかった。数週間前までは、10年間別れたままで一度も連絡をとったことがなく、このまま一生再会することもなかったかもしれないのだ。
あのころ、特別に感じていた友情も消滅したままで終わるはずだった。
私はそれがずっと心にひっかかっていた。彼女のことが大好きだったからだ。
チャンスは私を追ってこない。私の方がそれを追いかけなければいけないのだ。
「すべては私自身の姿勢」だ。
昔読んだ本で、いつも心に残っている言葉がある。アブラハムリンカーンの書き残した本の中の言葉だったと思う。
「探せ、されば見つけられるだろう。」
私は彼の言葉を今回体験することができたんだと思う。
もし、「すべては私自身の姿勢次第」そして、そのチャンスをつかむことが私の権利であるならば、それを邪魔するものはなんだろう。。
唯一、考えられるとすれば、それは「私自身」であるのかもしれない。自分自身の、つまり「私の敵である私自身」にはならないようにしようと思った。
タクシーは私の家の前に止まった。私はお金を払うとすぐにドアを開けられるようにカギをかばんから取り出した。ルーシーはこのカギの音を聞いたに違いないと思った。
私のこの「書き物」は、ここまで書かれたあと、約2ヶ月間ストップされていた。
私にとって、ここから書こうとすることは私の人生の中で、最も悲しい出来事の一つだからだ。
私を完全に破壊してしまった。
でも、勇気をだして、今でも鮮明に脳裏に焼き付いているこの出来事を、このホームページを見て下さっている方々に報告しようと、ペンをとることにする。

