Diario
2003年7月1日
今年の日本でのブルーノート公演を「ガルシアロルカの詩をテーマにしたものにしよう」提案したのは、彼が日本で、一番よく知られていて、もっともフラメンコに深くかかわってきた詩人の一人である。。と、思ったからだった。
彼に関する本や、作品を紹介したものは、日本でも、本屋さんにたくさん置かれている。
アンダルシア州のグラナダ出身であったロルカは、アンダルシアに住むジプシーたちを心から愛し、彼らについて数多く詩に託している。 ジプシーと深くかかわりを持った、スペインでは唯一の詩人だったと、言える。
パコ モンテマジョ−ルも、その意見には賛成だった。あとは、じっくリ構成を考えていく必要があった。
ブル−ノートの、ステージは、特殊に思えた。ライブハウスではあるが、フラメンコのタブラオ式とは、雰囲気が違う。ゆえに、それプラスアルファの、舞台構成をする必要が感じられた。
小さな劇場風なのだが、幕や袖幕もなく、それに、それだけのステージの広さもあるわけでもなかったので、劇場風にするわけにもいかず、構成にはずいぶん手間がかかった。
この2ヶ月ほどは、いろいろ試行錯誤しながら、リハーサルに多くの時間を費やしていた。
最終的に、タブラオ形式だが、劇場風の華やかさを加えて、また、ショーがとぎれないように、ストーリー性を加えて、つないでいくことに、決定した。
つなぎには、ギターでファルセータ「ギター独自のメロデイー」を、次にくるテーマの雰囲気にかかっていくように入れ、踊りにも少しストーリー性を持たせて、ちょうど、バトンタッチの、リレー式のようにした。
そうすることで、袖幕の問題は、克服された。
ファルセータは、ギターリストのオリジナル作品。
ロルカの詩にふさわしいメロデイーを、作ってもらうようにした。
歌い手は、70分間ロルカの詩だけを歌う。詩は、1文字も省略せずに、すべて歌い上げることを要求した。
それは、とても難しいことだし、今までそれを試みた歌い手はいないと思う。
すべての詩をフラメンコ化することは、とても難しいことだったに違いない。
また、それだけの詩をすべて覚えて、踊りに合わせて歌うのも大変だったと思われる。
そして、今日は初めての、歌い手、ギター、踊り手の合同リハーサルとなった。
今朝はまだ12時だというのに、気温が46度まで上がっていた。
コルドバは、過去、50度まで気温が上がったと記録されているが、今日は52度まで上がるだろうと、朝のニュースが伝えていた。おそらく、午後3時ごろのことだろうが、一度気温が上がってしまうと、夜になってもなかなか気温が下がらないのが、この町の特徴だった。
リハーサルは、午後6時から始まる予定だが、気温が下がっても、せいぜい今ぐらいの暑さだろう。
窓の外を見ると、買い物を手短に済ませて、急ぎ足で家に帰っていく人々が見える。それ以外は外に出てる人もほとんどいなかった。今日は、とにかく異常気象になると、誰もが予想していた。
いつもは、センターにある、パコが持っている地下でひんやりとしたスタジオで、リハーサルをするのだが、クーラーがないため、急遽近くにある、貸しスタジオを、利用することにした。
歌い手のマリアーノ以外のメンバーは偶然にも、ある程度、近所に家があった。
貸スタジオは、私の家から歩いて10分ぐらいのところにあったが、午後5時になっても暑さは一向に弱まらず、車で来る、ギターリストのラモンに電話をすることにした。
彼もまた、「君を誘って行こうと、後で電話をするところだった」と言ったので、迎えに来てもらうことにした。
夏が、大好きな私も、今日の暑さは耐えがたいものだった。ルーシー(私の愛犬)は、4つ足を伸ばして、おなかをタイルの床にぴったりくっつけて、伸びきっていた。
私が電話をしている間、まるで会話を気にしているかのように、上目遣いで私のほうをじっと見ていた。
電話を切ると、また顔を正面に向けて、あごを休め、寝たふりをしていた。
8月になって、私が日本へ行く前に毛を切ってあげようと思っていたが、明日早速、切りに連れて行ってあげようと思った。
いつも同じペットショップで、切ってもらっていた。ルーシーのかかりつけのお医者さんで、マリア ホセの助手をしている、ルシアに頼むつもりだ。彼女は偶然にも、ルーシーと、同じ名前だった。(ルーシーは、ルシアの略)
ある日、そのペットショップに行った時、待合室で、鳥かごの中にいた小鳥に、ルーシーがちょっかいを出そうとしたので、「ルーシー!」と怒鳴ったことがあったが、診察室からルシアがびっくりして飛びでてきたことがあった!
午後5時30分、出かける前に、ルーシーの水入れに冷たい水をいっぱい入れて、大好物のきゅうりの皮(スペインのきゅうりは、皮が堅くて私は食べれない)をおいてあげた。
そして、窓のシャッターを、ほとんど閉めて、家の中を日陰にして出て行くことにした。
(その間に、すでにきゅうりの皮はなくなっていた。。)
家のドアーに続く廊下の向こう側で、ルーシーは私を見送っていた。そばに来いと、呼ばれるのを待っていた。
私がいつものように彼女を呼ぶと、ルーシーは申し訳なさそうに、頭を低くして、ゆっくりと私に近づき、頭をなでてもらえるのを待った。
私は、ルーシーの位置までかがんで、ルーシーから、耳にキスをしてもらうのだった。
(顔へのキスは、遠慮することに決めていた!)
毎日、同じことを繰り返すことに、最大の幸せを感じているかわいい犬だ。
いつもドアーをルーシーの目の前で閉めることになり、その度に、私は心が痛んだ。
下の階へ下りていくと、私の家の下に住む、マリアが出てきた。
「こんなに暑い日に、出て行くなんて・・・道端で、倒れないようにしないと・・・。」「迎えに来てもらうから大丈夫よ。」
「ふうん。」
「マリは、家で何してるの?」
「お母さんのお墓へ、水とお花を持って行こうと思っているんだけれど、もう少し涼しくなってから家を出ようと思って・・・今はサッカーを見ていたのよ。レアル マドリーが、でているからね。」
マリは、2ヶ月前に、二人っきりで暮らしていたお母さんを亡くしていた。
それ以来、ずっと黒い服を着ていて、とてもさびしい日々をすごしていた。
最近少し明るくなった。それは、10年も勤めているところから、正式に社員にしてもらえる、という知らせを4日前に受けてからだった。彼女は大学病院で、掃除と患者さんの身の回りの世話をしていた。
私も、コルドバに家族がいるわけではなく、一人で暮らしていて、マリのように同じ建物に住んでいる人と、家族のような関係を持つことが出来て嬉しかった。
彼女は、43歳になる。結婚はしていなかったし恋人もいないからか、余り体型に気を使っている様子もなく、肥満寸前だった。いつも喪服ばかり着ていると、恋人も出来ないだろうに・・・。
早く、喪服を脱いで、元気になってくれることを望んでいた。
先日、彼女の親戚おばさんが、子犬を連れてきてマリにプレゼントした。私も見に行ったが、マリはちっとも嬉しそうではなかった。
「私は犬なんて大嫌い」
「あら、犬は、人間に最も親しい動物なのよ。それに、かわいがってあげると、とてもあなたに忠実でいるのよ。家族が出来て、よかったじゃない。」
「・・・。」
しかし、デゥケと名前がつけられたその子犬は、マリの家の狭いタイルで出来た中庭から出してもらえることはなく、また、家の中には、決して入れてもらえなかった。
散歩には、連れて行っていたが、用をたすことが唯一の目的だった。
まだしつけが出来ていないから、時々おしっこをタイルにしたりすると、彼女はとてもきつく叱るのだった。
その怒鳴り声に、ルーシーはデゥケに同情しているようで、マリの怒鳴り声がするたびに中庭に一番近い窓辺に来て耳を済ませて様子をじっと伺っていた。
私は家の窓辺から顔をのぞかせて、マリにきつく叱らないで欲しい・・と、犬の鳴き声のまねをして、冗談ぽく言うのだった。 が、私は本気だった。
デゥケも、マリの影響を受けて、だんだん気性の激しい、犬へ育っていくように思えた。
スペインは、まだ動物への理解がとても浅い社会で、動物の権利も他のヨーロッパに比べると遅れていた。
マリのように犬を扱う飼い主も少なくはなかった。
もちろん犬は人間とは違うので、飼っている犬に、犬としての立場を教える必要はある。
いくらかわいいからといって、犬の生活と人間の生活に一線をひかないのは、問題があると思っている。
犬は、あくまでも飼い主を、尊敬していなければならない。私達人間は、犬とは違うのである。
しかし、何の抵抗も出来ないペットいじめには、私は強い怒りを感じていた。
ラモンの車のクラクションに、会話は中断された。私は、車の止まっている方向へ急いだ。
外は、まるでオーブンの中のようだった。

